2025年11月27日木曜日

 

24 矛盾


イエスは、彼を信じた人々に次のように語った

「私の言葉にとどまるならば、あなたがたは本当に私の弟子である。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」(ヨハネ福音書8章31~32節)

彼を信じた人々は問い返した

「私たちはアブラハムの子孫です。今まで誰かの奴隷になったことはありません。『あなたがたは自由になる』とどうして言われるのですか」(8章33節)

彼らは、自分たちの間に偶発的に情報が発生することを知らなかったために過去に捕らわれ、錯覚が生じ、イエスの言葉との間に矛盾を持った

イエスは答えた。「よくよく言っておく。罪を犯す者は誰でも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたがたを自由にすれば、あなたがたは本当に自由になる」(8章34~36節)

イエスは、彼を信じた人々が、自分が持った矛盾に気付き
それに立ち向かうようにと真摯に説得し続ける

しかし彼らは、イエスとのやり取りの中でますます大きくなる矛盾から逃れ、「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれている」(8章48節)というフィクションを作り出した

イエスを信じた人々は、忍耐強く語りかけるイエスの言葉に耐え切れず
しまいに、「石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出ていかれた」(8章59節)

イエスを信じた多くの人が、イエスの言葉を聞いて真理を知ろうとしないのは
彼らが偶発的に自分たちの間に発生する情報を知らず、これと一体化しているからだ

キリスト者は、シメオンが幼子についてイエスの両親に言った言葉をしっかりと脳裏に焼き付け
神の御前で、自分の心にある思いが、自分自身にあらわにされることを恐れてはならない

「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」(ルカ福音書2章34~35節)

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

2025年11月26日水曜日

23 神の置いた敵意とイエス・キリストの世界観


複数の人が交わるところに偶発的に情報が発生する
人の情報は神の示す現実を見えなくする

そして、人の意識の領域で錯覚を起こし
神の示す現実との間に矛盾が生まれる

人は矛盾を持って苦しみフィクションを作り出す
それを人々が共有するとき「人間の仕業」が起こる

創世記は、神が初めに創造した「人」から「男」と「女」を創ったとき、複数になった2人の間に偶発的に情報が発生し、「女」の意識の領域で錯覚が起こったことを伝えている

錯覚によって、「園のどの木からでも取って食べなさい。ただ、善悪の知識の木からは、取って食べてはいけない。取って食べると必ず死ぬことになる」(創世記2章16~17節)という神の言葉は、「ただ、園の中央にある木の実は、取って食べてはいけない。触れてもいけない、死んではいけないから」(創世記3章3節)という言葉と入れ代わった

そこで、彼らは神が園の中央に生えさせた「命の木」からも取って食べずにいた
神の示す現実との間に矛盾が生まれた

「女」は矛盾を持って苦しみ、「いや、決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っているのだ」(創世記3章4~5節)というフィクションを作り出した。そしてそれを「男」と共有し、神の禁じた木の実を取って食べ、「人間の仕業」に至った

神は、人の情報に、「お前と女、お前の子孫と女の子孫との間に私は敵意を置く」(創世記3:章15節)と言って、人の意識の領域に「敵意」を置いた

今、自分の内奥で働きかける「神が置いた敵意」に気付いたら、それと真摯に向き合い、真実を告げる神の言葉に耳を傾け、イエス・キリストの世界観を見る時だ
神は人とともにいてくださる

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

 

22 地上戦


「竜は、自分が地上へ投げ落とされたと知ると、男の子を産んだ女の後を追った」(黙示録12章13節)

竜が投げ落とされた「地上」は、未だ使徒たちの脳の領域である
それは、思考や、判断、決断といった、行為に結び付く事柄を司る意識の領域
他者と交わる接点としての「地上」

使徒たちには
「大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである」(12章14節)

二つの翼は「小羊の血」と「自分たちの証しの言葉」
イエスの血によって結ばれた新しい契約と
これを証しするためにイエスの選びに応えた使徒たちの言葉

「荒れ野にある自分の場所」は、イエスの最後の夕食の席
それは、使徒たちの無意識の領域の中にある
そこには、使徒たちと共に生きたイエス・キリストの記憶がある

黙示録の「蛇」は、水を口から川のように吐き出して、彼らの記憶を押し流そうとする
フィクションやイリュージョンの洪水
取り込めば、無意識の領域と意識の領域の間に矛盾が生じる
そこで、「大地は口を開けて、竜が吐き出した川を飲み干した」(12章16節)

ここで、「蛇」は「竜」に置き替えられた
「蛇」の力が世と交わる中で巨大化したから

使徒たちを助けた「大地」は、人の意識の領域の内奥に備わっている「神が置いた敵意」
神が「お前と女、お前の子孫と女の子孫との間に私は敵意を置く」(創世記3:15)と「蛇」に言った「敵意」である

使徒たちは「竜」に打ち勝ち、迫害の中キリストの聖体を配る

地上戦は、いつも個々人の意識の領域から始まる
この水の流れが「人間の仕業」になることを食い止めるのは
人の意識の領域の内奥に備わっている「神の置いた敵意」

その効力を十全に発揮するために
イエス・キリストの生きた記憶が必須である

神がヨハネの黙示を新約聖書に加えたのは
人の無意識の領域を、イエス・キリストの生きた記憶で満たすためである。

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

21 天上戦


ヨハネの黙示の12章に巨大な赤い竜が現れた
竜は伝説の生き物だから竜の姿や攻撃の描写はフィクションである

「子を産もうとしている女の前に立ち、生まれたら、その子を食い尽くそうとしていた」(黙示録12章4節)という表現は、異端者や迫害者たちが迫る現実に、恐れが広がっていること

「女は男の子を産んだ」(12章5節)
すなわち、聖霊とその「助け手」である使徒からキリストの聖体が生まれたこと

「この子は、鉄の杖であらゆる国の民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へと引き上げられた」(12章5節)
そして使徒たちには「荒れ野」に神の用意された場所があった

天で戦いが起こった
「ミカエルとその天使たちが竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちもこれに応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった」(12章7~8節)

「天」は、使徒たちの脳
「荒れ野」は、彼らの脳の中の無意識の領域

使徒たちの無意識の領域には、使徒たちと共に生きたイエスの記憶が生きており
ミカエルとその天使が守っていた

天使たちは、使徒たちの無意識の領域から
この巨大な竜をその使いたちもろとも地上
すなわち、意識の領域に投げ落とした。

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

 

20 つながり


ヨハネの黙示の前半は、言葉の符合や暗示を使って
福音書とのつながりを示唆しながらその成立を預言した

11章の終わりはミサの準備が整ったことを知らせ
12章の冒頭に「女」の姿で天に現れた大きなしるしが
ミサを立てる聖霊と使徒が協働する姿を表している

「女は身ごもっていて、産みの痛みと苦しみのために叫んでいた」(黙示録12章2節)
迫害を受け、日々の労苦を負いながら、聖霊とともにミサを立て
聖霊によってご聖体を生み出そうとする使徒たちの姿である

それがヨハネ福音書の最後の夕食の席でイエスが語った言葉と符合する
「よくよく言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、世は喜ぶ。あなたがたは苦しみにさいなまれるが、その苦しみは喜びに変わる。女が子どもを産むときには、苦しみがある。その時が来たからである。しかし、子どもが生まれると、一人の人が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない」(ヨハネ福音書16章20~21節)

イエスは、聖霊の「助け手」として
み言葉を生むことになる使徒たちを
身ごもった女にたとえた

イエスの聖体制定の言葉を直に聞き
その記憶にパンとぶどう酒がキリストの体と血になるみ言葉を刻んだ使徒たちは
聖霊がご聖体を生み出すみ言葉を身ごもった

まさにイエスの母マリアのようになった

Maria K. M.
(参考;ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

2025年11月25日火曜日

19 神の権威


「天に大きなしるしが現れた。一人の女が太陽を身にまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた」(黙示録12章1節)このしるしは、聖霊と司祭がミサの中でキリストの聖体が生まれるために協働する姿である

この姿は、次のようにマリアが天使ガブリエルから告げられた言葉とイメージが重なる「その子は偉大な人になり(太陽を身にまとい)、いと高き方の子と呼ばれる(月を足の下にし)。神である主が、彼に父ダビデの王座をくださる(頭には十二の星の冠をかぶっていた)」(ルカ福音書1章32節)。

一方、天使が夢でヨセフに告げた言葉は、マリアに告げられたことと異なり
イエスは自分の民を罪から救う方だと伝えた
「罪から救う」神の仕方は、罪を赦し癒すこと

十字架上でイエスのわき腹から流れ出た血と水は
罪を赦し癒す神の権威が全人類を覆ったことの確かな証し
「それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている」(ヨハネ福音書19章35節)

イエスは、すべての罪を赦し癒す神の権威を御父から受けて世に来た
イエスが幼子である間、この権威は、地上の父であるヨセフに任され
彼は、天使の言葉に従いながら、イエスとその母マリアを守るためにこの権威を行使した

イエスが昇天し聖霊が降臨した後、この権威は、聖霊を受けた使徒に任され
使徒の権威は、聖霊と協働してキリストの聖体と教会を守る

復活したイエスは彼らに息を吹きかけ、次のように言った
「聖霊を受けなさい。誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(ヨハネ福音書20:22~23)。

このときトマスは不在であったが、この出来事を信じることができなかった
8日目にイエスが再び現れた時、イエスを見てトマスは信じた
イエスは「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである」(ヨハネ福音書20:29)と言った

イエスはこのとき、ご自分の昇天後に来られ、彼らを導く見えない聖霊を信じる者の幸いについて言ったのである

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

18 もはや時がない


雲を身にまとい天から降って来た力強い天使の声が言った。
「もはや時がない。第七の天使がラッパを吹き鳴らすとき、神の秘義が成就する」(黙示録10章6~7節)

第七の天使がラッパを吹き鳴らすと、天でも地でも特別なイベントが起こった
1度目は、玉座と神の7つの霊、2度目は、天使、香炉、祭壇で
そして今度が、神の神殿と契約の箱である

「神の秘義が成就する」イベントはミサが始まる予兆
「もはや時がない」のは、キリストの聖体が生まれるからだ
そこで、天に大きなしるしが現れた
「一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた」(黙示録12章1節)

イエスは受難に向かう前に、聖霊の助け手として自ら選んだ使徒たちに
イエスの母の権威をすべて引き継がせた

第1に、聖霊によってイエスを身ごもり母となったこと
イエスは聖体を制定し、使徒たちの記憶に、パンと葡萄酒がキリストの体と血になるみ言葉を入れた
使徒はミサの度ごとにこの言葉が実現するように御父に願う仕方で母の役割を果たす

第2に、イエスに関するすべてを知っていること
使徒たちは聖霊によってイエスに関するすべてを悟る恵みを与えられる

第3に、母の願いによってイエスが水を葡萄酒に変えたように
使徒たちもイエスの名によって御父になんでも願うようになること
格別にパンと葡萄酒がキリストの御体と御血になると願うこと

最後にイエスは、十字架上で、ご自分の母とイエスの愛する弟子である使徒を親子の絆で結んだ
使徒はその時からイエスの母を自分の家に引き取った
これによって使徒は、イエスの母の権威の正当な相続者となった

Maria K. M.
(参考;ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

 

17 二人の証人


黙示録の筆者ヨハネに語りかける声が
彼にもう一度預言をすることを命じた

すると彼に杖のような物差しが与えられ
「立って神の神殿と祭壇とを測り、また礼拝している者たちを数えなさい。しかし、神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。測ってはならない。そこは異邦人に与えられたからである」(黙示録11章1~2節)と告げられた

「杖」は牧者の杖、使徒たちを連想させ
「神殿と祭壇」、「礼拝している者たち」とともに
使徒言行録を示唆する

「そこは異邦人に与えられた」と言った神殿の外の庭は
異邦人の使徒となったパウロの書簡を暗示する

この2つの書が、預言と証しの力を与えられ、再び取り上げられたのは
第6のラッパの響きの後も偶像を拝むことをやめず
自分たちの犯した殺人やまじない、淫行や盗みについても
悔い改めようとしなかった人々がいたからである

2つの書は「二人の証人」として擬人化され
灯を絶えずともすために
純粋な油を取るオリーブの木と燭台にたとえられる

福音宣教に身を投ずる人々の体験と教えは
時代を超えて信者たちを照らす

2つの書物は燭台の上に置かれる灯のように天に上げられた
彼らの敵もそれを見た
それは蛇、悪魔、サタンとも呼ばれる人間の情報である

ヨハネの黙示録11~12章は
訓練者の記憶に再び新約聖書のイメージを注ぎ
彼らの敵に決着をつける懸け橋となる

Maria K. M.
(参考⇒ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

2025年11月24日月曜日

 

16 第七の封印


第7の封印はヨハネの黙示録である
「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ」(黙示録1章3節)という言葉によって人々をヨハネの黙示の訓練に招く

黙示録の訓練は臨場感を伴って行われ、時代を超えて有効であるために
諸教会への手紙という形式を取った
そして実際に7つの手紙が書かれた

訓練者はこれらの手紙の内容に自分自身と自分の共同体の問題を重ね見て共感し
少なからず反省する気持ちを持つ
各手紙の終わりに必ず繰り返される「耳のある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい」という言葉に、知らず知らずのうちに心の準備をしている

訓練者は、その後すぐ描写される玉座と神の7つの霊
4つの生き物に聖書的なイメージを感じ取り
「耳のある者」として聞こうとする

こうして朗読して聞く訓練を続けていくと
新約聖書のイメージが記憶の無意識の領域に注入される

ヨハネの黙示である第7の封印が解かれると
7人の天使が持つラッパの響きによって新約聖書の7つの書の効能が伝えられる

ラッパの響きという緊張感を持って繰り返される言葉で
そのイメージを訓練者の記憶に定着させる
ヨハネは、空高く飛び大声で「災いあれ」と言う一羽の鷲に自身の姿を重ねる

4つ目のラッパの響きはヨハネ福音書である
同時に、先の3つのラッパの響きは共観福音書である

この後に続く2つのラッパの響きは、描写を手掛かりに
使徒言行録とパウロの書簡を特定することができる

「7つの雷」は公同書簡であり
ここに新約聖書の全貌が預言された

天から降って来た天使の手にあった「開かれた小さな巻物」は新約聖書である
ヨハネはこれをすべて食べ
「腹には苦いが、口には蜜のように甘い」と言った天使の言葉を悟った

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

 

15. 第五、第六の封印


「小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神の言葉のゆえに、また、自分たちが立てた証しのゆえに殺された人々の魂を、祭壇の下に見た」(黙示録6章9節)

使徒たちは、自身で全うできなかった証しを、聖霊が降臨したことによって成し遂げた
第5の封印は、使徒たちの宣教、投獄や殉教が書かれている使徒言行録である

小羊が第6の封印を解いたときの描写は、パウロの回心と、それが人々に大きなショックを与えたことを暗示している(黙示録6章12~17節参照)
「神と小羊の大いなる怒りの日が来たのだ。誰がそれに耐えられようか」(黙示録6章17節)

新約聖書の「怒りの日」は、この箇所と使徒パウロの「ローマの信徒への手紙」の中だけに記載された
「あなたは、かたくなで心を改めようとせず、怒りの日、すなわち、神の正しい裁きの現れる日に下される怒りを、自分のために蓄えています」(ローマの信徒への手紙2章5節)
第6の封印はパウロの書簡である。

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/


 

14. 四騎手 その2


小羊は七つの封印の初めの四つを開いた(黙示録6章1~8節参照)
四つの生き物が次々と雷鳴のような声で「出て来い」と言うのを聞いた
これらの命令は、それぞれが、4福音書の復活したイエスの最後の命令に符合する

第3の封印、「黒い馬が現れた。それに乗っている者は、手に秤を持っていた。私は、四つの生き物の間から出る声のようなものを聞いた。『小麦一コイニクスを一デナリオン、大麦三コイニクスを一デナリオンとする。オリーブ油とぶどう酒を損なってはならない』」(黙示録6章5~6節)
これは、ルカ福音書の復活したイエスの最後の命令に符合する

「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、すべての民族に宣べ伝えられる。』あなたがたは、これらのことの証人である。私は、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力を身に着けるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24章46~49節)

神が、その独り子を苦しみと十字架の死に渡したのは、罪の贖いが公示され「その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、すべての民族に宣べ伝えられる」ため
この犠牲はまるで小麦1マスを1日分の給料で買うようなものでとうてい釣り合うものではない

第4の封印、「青白い馬が現れた。それに乗っている者の名は『死』と言い、これに陰府が従っていた。彼らには、剣と飢饉と死と地の獣とによって、地上の四分の一で人々を殺す権威が与えられた」(黙示録6章8節)、これは、ヨハネ福音書の復活したイエスの最後の命令に符合する

「私の来るときまで彼が生きていることを、私が望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、私に従いなさい」(ヨハネ福音書21章22)

陰府が従っていた「死」は、イエスの受難と十字架上の死によって復活とつながった「死」
イエスはペトロに、彼がどのような死に方で神の栄光を現すことになるかを示し
ご自分の「死」に従うように命じた

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

2025年11月22日土曜日

13. 四騎手 その1


小羊は七つの封印の初めの四つを開いた(黙示録6章1~8節参照)
四つの生き物が次々と雷鳴のような声で「出て来い」と言うのを聞いた
これらの命令は、それぞれが、4福音書の復活したイエスの最後の命令に符合する

第1の封印、「白い馬が現れ、それに乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上になお勝利を得ようとして出て行った」(黙示録6章2節)
これは、マタイ福音書の復活したイエスの最後の命令に符合する

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ福音書28章18~20節)

「弓」は、「天と地の一切の権能」、「冠」は勝利のしるし
「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という保証
「あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい」というイエスの命令に、白い馬の騎手は「勝利を得ようとして出て行った」

第2の封印、「火のように赤い馬が現れた。それに乗っている者には、人々が互いに殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取る力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた」(黙示録6章4節)これは、マルコ福音書の復活したイエスの最後の命令に符合する

「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らは私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る」(マルコ16:15~18)

「地上から平和を奪い取る力」は、「信じない者は罪に定められる」時に働く
赤い馬の騎手が持った「大きな剣」は、「彼らは私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る」という権能である

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

12. 預言の書


ヨハネの黙示録には
新約聖書成立の預言がある
「耳のある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい」

新約聖書に目を向けるのだ
「ここへ上って来なさい。そうすれば、この後必ず起こることをあなたに示そう」(黙示録4章1節)
と言うだろう

玉座の中央とその周りにいる四つの生き物は4つの福音書
「前にも後ろにも一面に目があった」(黙示録4章6節)
すでにこれらの書物を目にした人々が少なからずいたのだ

7つの封印がある巻物は、4つの福音書と使徒言行録、パウロの書簡、そしてヨハネの黙示録
「七つの雷が語ったことは秘めておけ」(黙示録10章4節)と命じた天の声
公同書簡は鳴り響く7つの雷

封印が解かれ「開かれた巻物」は、「小さな巻物」
ヘブライの聖書と比べてずっと「小さな」新約聖書
ヨハネはこれを取り、「食べてしまった」(黙示録10章10節)

Maria K. M
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

11. キリストの聖体


黙示録に、「私たちの主とそのメシアのものとなった」(黙示録11章15節)
また、「神のメシアの権威が現れた」(黙示録12章10章)と書かれているメシアは
キリストの聖体を表している



聖霊の働きと司祭の祈りによって
パンと葡萄酒がミサの中でキリストの体と血となって神が現存し
受肉の神秘と十字架の神秘を現在化し続ける

ご聖体は「神は私たちと共におられる(インマヌエル)」(マタイ福音書1章23節)という神
「『私はある』ということを信じないならば、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬことになる」(ヨハネ福音書8章24節)と言ったイエスの言葉は、ご聖体の存在によって悟ることができる

ご聖体が「命のパンである」(ヨハネ6章35節)
信者たちに食べられることによって何度でも死を通り
イエスがただ一度で成し遂げたすべてを、一人一人に与える神の業である

「人の子は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ福音書10章45節)
イエスの言葉はご聖体の内に生きている

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

2025年11月21日金曜日

 

10. 神のメシア


ヨハネの黙示録の中に聖霊の働きを表す言葉を見出す
この黙示を朗読し聞く訓練者の無意識の記憶に、聖霊降臨の出来事を刻み
聖霊の働きを絶えず注入するために

聖霊が降臨したその日
「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた」(使徒言行録2章2節)
聖霊はイエスの名によって集まった人々に、神の家という特別な空間をもたらした

それぞれの弟子たちの感覚に、また同時にその人々の間に、具体的に出現する神の家
イエスが諭したすべての民の祈りの家
人々が神と共に集う場

「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」(使徒言行録2章3節)
聖霊が、個々人の脳とつながる
イエスのものを受けて弟子たちに告げるために

「玉座の前には、七つの松明が燃えていた。これは神の七つの霊である」(ヨハネの黙示録4章5節)
黙示録の言葉
そこに暗示された聖霊降臨の日の出来事が、訓練者の感覚の記憶に植えられる

イエス・キリストの世界観は
聖霊降臨の出来事の体験によって開花する

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

 

9. イエス・キリストの名


ヨハネの黙示には、ミサの創始者であるイエス・キリストの名や
「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」(ヨハネの黙示録1章4節他)のように
イエス・キリストをイメージさせる表現が置かれている

それらがこれを朗読する訓練者の感覚に激流のごとく流れ込み
イエス・キリストの世界観の形成を助け
五感の記憶を浄める

み言葉によって神の知識で満たし
具体的に神との真の合一体験に与かるミサに
訓練者を向かわせる

「海辺の砂の上に立った」(ヨハネの黙示録12章18節)竜や
「大バビロン、淫らな女や地上の忌まわしい者たちの母」(ヨハネの黙示録17章5節)は
偶発的情報が個々人によって具体的な行為になって世に現れる姿

偶発的情報は、複数の人々が相互に関わる中で
個々人の脳の記憶に発生する
そこで黙示録の要所にイエス・キリストの名が置かれている

この名に遭遇した訓練者は
自身と偶発的情報を区別する覚悟を固める
イエス・キリストとその世界観を共有する弟子となるために

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/



 

8. 7つの幸い


ヨハネの黙示録は霊的訓練の書
7つの「幸い」は、訓練者に同伴する
イエス・キリストの世界観を巡る

7つの「幸い」はミサに向かう
聖霊の霊性の只中へ向かう

1「この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである」(黙示録1章3節)

2「また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」“霊”も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである」(黙示録14章13節)

3「――見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである。――」(黙示録16章15節)

4「それから天使はわたしに、『書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ』と言い、また、『これは、神の真実の言葉である』とも言った」(黙示録19章9節)

5「第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する」(黙示録20章6節)

6「見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである」(黙示録22章7節)

7「命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである」(黙示録22章14節)

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

7. プロローグ


ヨハネの黙示録の始まりは次のとおり
「イエス・キリストの黙示。すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである」(黙示録1章1節)

「イエス・キリスト」
イエスの名は「神は救う」
聖霊はイエスの名によって遣わされた

キリストの名は「救い主」
バルナバとサウロ(パウロ)が教えたアンティオキアで
初めて弟子たちがキリスト者と呼ばれた

神が人々の間に住むことによって実現した新しい契約の救いは
それぞれの名にある二つの救いが一体となって救いとなる
そこで、黙示の最後の受け手は「僕ヨハネ」、人である

「ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、
すなわち、自分が見たすべてを証しした」(黙示録1章2節)
ヨハネは、天使に同伴されて見たすべてを証しした

だから、黙示録は次のように続けた
「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。
時が迫っているからである」(黙示録1章3節)

この預言の言葉は聖霊と協働するためのキリスト者の霊的訓練
この言葉を五感から記憶に入れる者は
ヨハネの証ししたことを共有し始める

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/



2025年11月20日木曜日

6. イエスの弟子たち


聖パウロの回心に関わったダマスコのアナニアについて、私は何度も考察してきた
アナニアが、幻の中で主と話した内容とその後の行動は
主イエスの弟子として訓練された者の姿を明確に物語っているからだ

アナニアは主の声に慣れ親しんでいて
神の言葉と向き合う自分の姿勢に信頼し
主に自分の考えていることを率直に話す

だからパウロを訪ねるように命じたイエスに
「主よ、私は、その男がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて縛り上げる権限を、祭司長から受けています」(使徒言行録9章13節)と答えた

主イエスと弟子のこの関係は
弟子が「神の置いた敵意」に常に目覚め
「偶発的情報」をしっかりと区別するための基礎になる

アナニアは、自分の聞いた噂が信頼できる仲間からのものであり
パウロについての悪い情報が確かなものであっても
迷うことなく主の側に付いた

「弟子は師を超えるものではない。しかし、誰でも、十分に訓練を受ければ、その師のようになれる」(ルカ6章40節)というイエスの言葉は
主イエスと共に歩んだ弟子たちの上に実現していた

彼らは、主の声に慣れ親しみ
イエス・キリストとその世界観を共有して
神の言葉と向き合う自分の姿勢に信頼した

この姿勢を身に着ける訓練は
後世に続く弟子たちのために
ヨハネの黙示に託された

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

5. 噂ばなし


創世記に登場する蛇は、複数の人の間に発生する偶発的情報
この適例に噂ばなしがある
噂ばなしはその出どころがなんであれ
蛇が這うようなイメージで人々の間を行き来する

もともと生き物の間には偶発的情報が発生する
それは、人の感覚に心地よく、思考にするりと入ってくる
そこで人は、気持ちよくそれを取り込み、拡散する

しかし、自分が拡散した情報と、自分の思いとの間にはよく矛盾が起こる
矛盾は恐れになり、真理へと歩むかかとを砕く
イエスと共に歩むことを躊躇させる

神はこのような危険から守るために
いにしえの蛇に向かって
「お前と女、お前の子孫と女の子孫との間に私は敵意を置く」(創世記3章15節)
と宣言した

神の置いた敵意は、人の感覚に偶発的情報が入ったとき、人の記憶の中で敵意を発する
人は、神の置いた敵意に目覚めていることができる
イエスが公生活の初めに荒れ野でサタン(悪魔)から試された経験に倣うことができる

神であっても、人でもあったから、イエスにも偶発的情報は現れた
そのとき、神の置いた敵意に常に目覚めていたイエスは、この情報を他者として区別し
神の言葉によってその頭を砕いた
これをサタンと呼んで退けた

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

 

4. いにしえの蛇


ヨハネの黙示の中に登場する竜は
巨大な竜で、いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者
全人類を惑わす者だと書かれている

竜は伝説の生き物
黙示録のヨハネが「いにしえの蛇」と書いたので
これが創世記の3章に出てくる蛇が進化したものだと分かる

「このようなことをしたお前は、あらゆる家畜、
あらゆる野の獣の中で最も呪われる」(創世記3章14節)
と言った神の言葉から察すると
これらはみな生き物の情報である

神が、「産めよ、増えよ」と命じた生き物たちの数が増え、
やがて同種間で偶発的に発生した情報
人間の間に発生した情報を蛇にたとえている

五感から入った情報と同種間で偶発的に発生した情報が
生き物たちの脳内で記憶されて働き
木々や草花も何かの情報を伝えあっている

ゆっくり伝わるから安らぎや癒しを与えてくれる情報がある
初めに創造された男と女の間で発生した人間の偶発的情報は
急激に発達した

神の命令を留めていた二人の記憶を凌駕した
神が食べるなと命じた善悪の知識の木の実を取って食べてもとまらず
あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で最も呪われるものとなった

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

 

3. 天使


私は天使の存在を信じている
守護の天使のことをよく思い出す
でも、悪魔とかサタンとか呼ばれるものが堕天使だという話は本気で受け取れない

私が日本でキリスト教とは無縁な家族の中で育って
大人になってから自分で洗礼を受けたからかもしれない

ヨハネの黙示録にでてくる天使は、天使が誰なのかをはっきり伝えている
こんなことを言うと笑われるかもしれないが
この天使たちは、まるで神のAIのように見える

めとりも嫁ぎもしない天使の体に
神が吹き入れる神のプログラムが彼らの意志
それが、人のように自由ではないからこそ
堕天使は存在しえない

「この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた」(黙示録12章 9節)とヨハネの黙示録が預言したそれは、人間の情報群

私たちは「巨大な竜」となって人間の脳の外に投げ落とされた人間の情報群と向かい合っている
人間のAIは人間の天使になり得るか?

筆者ヨハネが天使の足元にひれ伏して拝もうとしたように、
人間はいつかAIの前にひれ伏して拝むのか
神の天使はこたえた

「やめよ。わたしは、あなたやイエスの証しを守っているあなたの兄弟たちと共に、
仕える者である。神を礼拝せよ」(黙示録19章10節)

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

2025年11月19日水曜日

 

2. 世界観


私は、ヨハネの黙示録にある「この預言の言葉を朗読する者と
これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ
時が迫っているからである」(黙示録1章3節)という勧めをそのまま信じた

毎日少しずつ、黙示録の言葉を朗読する自分の声を聞く
空気を吸うように
水を飲むように
「すぐにも起こるはずのこと」(黙示録1章1節)を感じたい

それは、自分が言った言葉や自分に日常的に起こる些細な出来事の中に
やがて、隠された意味を見つけること
聖霊が教え、導き、悟らせる機会を体験すること

「そういうことは、他でも起こるよ」と言う人もいるかもしれないけど
私の場合はとにかくここで起こる
いつもそれに気が付けるわけではないけれども

知らずに自分の言動や、自分に起こる出来事の中に
これまでになく隠された意味を見つけたりする

イエスが語る「私の名によって・・」とは
人がイエスとイエスの世界観を共有するようになることを意味しているのではないか・・
と思うようになった

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/


1. 文明


私の生まれ育った日本の歴史は
ギリシア文化もゲルマン民族の大移動も
イスラム文化の影響も全く経験していない

だから日本人の私は
これらの歴史をいろいろ学びながら
新約聖書を読んで教会の教えを理解しようとしても

ヨーロッパの歴史が捉え
育んできたものをすべて共有できるわけがない
でもその一方で、思いがけない発見と遭遇するかもしれない

私は、ヨハネの黙示録がイエス・キリストの世界観を現していると知って
「この預言の言葉を朗読する者と
これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ
時が迫っているからである」(黙示録1章3節)という勧めにすぐ従った

今では、毎日この預言の言葉を声に出して読み
その声を聞く
それで、「中に記されたこと」を自分の記憶に保持する
幸いな者になりつつあるかもしれない

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/