2026年2月3日火曜日

34. 新しい男と新しい女の召命


人は、人や他の動物たちの誕生を見て 生き物に自発性があることを知る

この自発性が 人に「ある」というものを感じさせ 人はそれを「存在」だと受け取るようになる

やがて人は これが人の脳の中で起こる出来事であり 「ある」と捉えられるのは自分自身だけで 他はすべて自身との関係を表す情報として存在していることを知る

だから 人をこのように創造した神が「私はある」と言うとき
それは 神が人と共にいて関係していることを言っている

人にとって関係性を示す情報こそが 他者の「存在」を保証する手立て
聖書は 神が人を神の似姿に創造したと書いた

この命題が人にとって 自他ともにその「存在」を保証するためには
それは 関係性を示す情報にならなければならない

そこで神はその独り子を世に遣わした
キリスト者にとって完全な神の似姿は イエス
したがって神に似るということは イエスに似るということ

イエスに似るために共有可能なイエスの特徴は
「天の国のために自ら進んで宦官となった者」になることを弟子たちに勧めたこと
それはイエスご自身のこと

イエスが 「受け入れることのできる人は受け入れなさい」と言い添えたのは
社会的立場が異なる者たちが この勧めを時宜にかなって自由に受け入れることができるため

十字架のそばに御父が引き寄せた人々が 三人のマリアであったことから
男性性と女性性についての新たな可能性を受け取る必要がある

キリスト者の男性は 子を持つ者も持たない者も 「愛する弟子」に倣ってマリアの名を受け取り イエスに似る者となる

キリスト者の女性は 子を持つ者はクロパの妻マリアによってヨセフの名を受け取り
子を持たない者はマグダラのマリアによってイエスの名を受け取り
それぞれイエスに似る者となる

十字架のそばにいた三人のマリアは 聖家族のメンバーを象徴している
聖家族をモデルに イエスの似姿として現れるイエスの「私の教会」は
聖書の世界を現実のものにする

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/


 

2026年1月24日土曜日

33. マリアとヨセフの召命



イエスは、「天の国のために自ら進んで宦官となった者」になることを、男性の弟子たちに勧めた
それは、男性の体が性衝動を制御できるように造られているからだ

男性の体は、新しい精子を補充するとき、古い精子は体内に吸収されるよう機能する。外性器を尿道と兼用しているため、精子も尿のように溜まれば排出しなければならないと捉えている人がいるかもしれないが、それは錯覚だ

一方で卵子は、女性がその母の胎内で胎児であったときにその数が確定し、女性が誕生後新たにつくられることはない。成長した女性の体内で卵子は成熟し、卵管に出てくる。精子と出会わず受精卵にならなかった卵子は、出血を伴ってはがれる子宮の一部とともに、体外に排出される。成熟した卵子が出てくる排卵は、女性の意志とは無関係に起こり、このとき女性は数日間の発情期に入る

そこで、神は、マリアを「神の独り子」を身ごもるために特別に準備した
この子は、神としても人としても独り子であるからだ

マリアには聖霊が降り、いと高き方の力に覆われた
それは、その体が「天使に等しい者」になったという事を意味していた

イエスは、サドカイ派の人々に次のように答えたとき、ご自分の母をイメージしたに違いない
「この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活の子として神の子だからである」(ルカ福音書20章36節)

福音書に書かれた記事を読むと、死者の中から初めに復活したイエスは、見た目には普通の人と変わることがなかった

マリアも同じようであったので、彼女自身はもちろんのこと、誰一人、彼女の身に何が起こっていたか気付かなかっただろう

イエスは、「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」(ルカ福音書11章27節)と声を張り上げて言った女に、「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」(11章28節)と応じた

また、母に向かって「女よ」と呼びかけていたのはこのためだった

これらの事から推測すると、天使の言葉に従って、マリアと胎内の子イエスを家に迎え入れ、イエスの地上の父となったヨセフは、ベトレヘムで、非常に稀有なお産に立ち会った
それは、まるでイエスが空の墓を残して復活したような光景だったに違いない

ヨセフは、これを見てすべてを悟り、神を畏れ
知らずとも「天の国のために自ら進んで宦官となった者」として生涯を生きた

マリアとヨセフの人生の選択は、キリスト者に、新しい男と新しい女の人生を受け取る可能性を切り開いた

Maria K. M.
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

2026年1月22日木曜日

32. ペトロの「幸い」


ヨハネの黙示録の中には7つの「幸い」があり、その内の6つは幸いであることの理由が書かれている

しかし、4つ目の「幸い」だけが次のように理由が示されていない

「それから、天使は私に、『書き記せ。小羊の婚礼の祝宴に招かれている者は幸いだ』と言い、また、『これらは、神の真実の言葉である。』とも言った」(黙示録19章9節)

小羊の婚礼の祝宴は、イエスの最期の過ぎ越しの食卓である

その席で、イエスは、パンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら、「取って食べなさい。これはわたしの体である」(マタイ福音書26章26節)と言われた

また、「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(26章27~28節)と言われた

弟子たちはイエスが言われた通りにして、イエスとの合一体験を持った

今日でもミサ典礼の流れは、使徒たちと同じ合一体験をさせる聖体拝領に向かう

その終盤の交わりの儀で、司祭は聖別されたパンとぶどう酒を示して、信者たちを招き、「神の子羊の食卓に招かれた者は幸い」と唱える

ここで、ご聖体に現存するイエスを前にした信者は、「あなたがたは私を何者だと言うのか」(16章15節)というイエスの問いを前にしたペトロのように、ご聖体が誰であるかを証しする場面に直面する

イエスは、「あなたはメシア、生ける神の子です」(16章16節)と応えたペトロに、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、天におられる私の父である」(16章17節)と言った

このようにペトロの答えは、天の父が保証した「幸い」であり、これは、「神の真実の言葉」である

ゆえに、交わりの儀でご聖体を前にした信者は、ペトロの幸いな信仰告白で証しする必要がある

さらにイエスは、ペトロに続けて次のように言った

「私はあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上で結ぶことは、天でも結ばれ、地上で解くことは、天でも解かれる」(マタイ16:19)。

天の国の鍵が、ミサ典礼の開祭の言葉によって天の扉を開くと、天上のミサと地上のミサを結ぶ新しい空間が出現する

大群衆が神を讃える天上のミサと結ばれた地上のミサに与かる会衆は、司祭から派遣の祝福を受ける

その祝福には、キリストの聖体を拝領して派遣された信者たちが、その日常のルーティンを巡って再びミサに戻ってくる希望が込められている

そして、閉祭を告げる司祭の言葉と感謝の応答をもって、天上のミサとの結びは解かれる

Maria K. M. 

(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

2026年1月21日水曜日

31. イエスの「私の教会」


イエスが「私の教会」について語ったのは、弟子たちに、「私の教会」をどのような土台の上に建てるかを教えたときだった

イエスが弟子たちに、「あなたがたは私を何者だと言うのか」(マタイ福音書16章15節)と尋ねたとき、ペトロは、「あなたはメシア、生ける神の子です」(16章16節)と答えた

イエスは、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、天におられる私の父である。私も言っておく。あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てよう。陰府の門もこれに打ち勝つことはない」(マタイ福音書16章17~18節)と応じた。

イエスの「私の教会」は、いわば、ペトロが答えた言葉の上に建てられた

ペトロが答えた言葉は、初めてヨセフの夢に現れた天使が「この子は自分の民を罪から救う」(マタイ福音書1章21節)と言った言葉、すなわち「この子はメシア」と、マリアが天使から「生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(ルカ福音書1章35節)と告げられた言葉が一つになったものだ

「あなたはメシア、生ける神の子です」と言ったペトロの答えを、初めから持っている聖家族は、イエスの「私の教会」のモデルである。そこには、イエスがペトロに「あなたは幸いだ」と言った新約聖書のすべての「幸い」がある

イエスの「私の教会」が聖家族をモデルに神の似姿として現れるなら、聖書の世界を現実のものにし、情報化社会に神のイメージを注入する機会ができる。新約聖書のすべての「幸い」と結ぶことができる

Maria K. M. 

(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

2026年1月17日土曜日

30. 三人のマリア


4つの福音書は、十字架上のイエスの最期の言葉を、それぞれに伝えている。しかし、その内容をみると、これらの言葉が次のように時系列に並ぶことに気付く

「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(マタイ27:46、マルコ15:34)→「父よ、私の霊を御手に委ねます」(ルカ23:46) →「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)。これは、まるで福音書の著者たちが「成し遂げられた」という出来事に向かって申し合わせて書いたかのようだ

十字架上でイエスは、前晩に使徒たちに示した新しい契約を正式なものにするために、御父がその当事者を引き寄せるのを待っていた。御父が引き寄せなければ誰もイエスのもとへ来ることはできないからだ

苦しみの中で、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」というイエスの嘆願の叫びは、ゲッセマネの園のイエスの祈りと同じく、「父よ、私の霊を御手に委ねます」という言葉に取って代わられる

やがて、十字架のそばに御父が引き寄せた人々が集まった。ここで個人を特定できるのは、イエスの母マリア、クロパの妻マリア、マグダラのマリア、そして、「愛する弟子」である。この弟子は、福音書の他の記述から使徒ヨハネだ

イエスは、十字架のそばにいるご自身の母マリアと使徒ヨハネを親子の絆で結んだ。そして、その時から、使徒ヨハネはイエスの母を引き取った。これによって使徒は、受肉の神秘を受け取ったイエスの母の権威の正当な相続者となった

事の成り行きをすべて目撃した他の二人のマリアは、その証人である。同時にイエスの母と使徒と共に、十字架の神秘が成し遂げられたことの証人となった。「成し遂げられた」とは、新しい契約の締結であり、預言の実現であった

受肉の神秘は、マリアの承諾と、ヨセフがマリアを迎え入れたことによって、聖家族を生み出した。十字架の神秘は、イエスの母マリアの承諾と、この時から使徒が彼女を家に引き取ったことによって、「私の教会」(マタイ16:18)を生み出すことになった

ここで、使徒の名が隠されたことから、「私の教会」は三人のマリアとして誕生する。イエスのわき腹から流れ出た血と水は、彼らに降りかかり、彼らを浄め、危険が彼らを過ぎ越すしるしとなった。聖霊は、こうして守られた「私の教会」の上に降臨する

Maria K. M. 

(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

 

2026年1月14日水曜日

29. 使徒


なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのか、というファリサイ派の問いに、イエスは、「あなたがたの心がかたくななので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない」(マタイ19:8)と答えた。

離縁がモーセの裁量の結果であったということは、結婚が人間の作った社会制度であり、そこにはすでに困難を抱えた男と女の関係が内包されていたということを物語っている。イエスは、神の創造の業をダイレクトに受け取る新しい男と女のために、新しい役割を持って遣わされて来た。

イエスは弟子たちに、「天の国のために自ら進んで宦官となった者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい」マタイ19:12(日本の聖書はここで「宦官」と訳していない)と勧めた。使徒言行録にも登場するように、当時、有利な地位に就くために自ら進んで命がけで去勢し、王や後宮に仕える宦官と呼ばれる男性たちがいた。

しかしこの時、「天の国」を知っていたのはイエスだけであったから、「天の国のために自ら進んで宦官となった者」とはイエスご自身を指していた。イエスは、彼の弟子たちに、師に倣って、去勢なしの宦官になることを求めたのである。

弟子の中でも男性である使徒たちにとって、去勢をしてまで官職に就こうとする者のたとえは、身に迫るものがあったにちがいない。彼らが天の国のために師に倣うことを受け入れたことが、最期の夕食の席で、イエスが御父に「彼らはあなたの言葉を守っています」(ヨハネ17:6)と報告したことから分かる。

イエスは、世に残る彼らのために、御父とご自分が一つであるように、聖霊と彼らが一つになることを御父に願った。復活後、イエスが罪を赦す権能を授けた使徒たちは、降臨した聖霊によってキリストの聖体を生み出す役割を担う。

み言葉であるイエスは、神の母性を持つ男性として世に生まれた。なぜなら、御父が父である神であるのに対して、「万物は言によって成った」(ヨハネ1:3)と書かれている通り、み言葉は母である神だからである。

聖霊はイエスの代理者として神の母性を持って降臨する。肉体を持たない聖霊が、神の母性を持つ男性であるイエスについて証しするために、イエスは、ご自身と同じ男性の弟子を選んで使徒と名付けた。初めからイエスと一緒にいた彼らも、聖霊の助け手として証しするからである。イエスは、新しい男に神の母性を持つ聖霊の助け手という新しい役割を与えたのだ。

Maria K. M. 

(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

2025年12月15日月曜日

28. フィクションの門


ファリサイ派との離婚問答で、イエスは、創世記を引用して次のように答えた

「こういうわけで、人は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、もはや二人ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マタイ福音書19章5~6節)

人は、性交によって結ばれるという他の多くの生き物と共通の生殖行動を持っている
そこに、精子と卵子が一体となった受精卵が生まれる
受精卵は、人も他の生き物も、もはや二人ではなく、一体である
イエスは、「一体」を繰り返し強調した

人の受精卵は、受胎すると神が「その鼻に命の息を吹き入れ」(創世記2章7節)
生きる者となる

神と女と男は、神の似姿となるためにそれぞれの命を与え合う
これが、「神が結び合わせてくださったもの」の真の意味であり
ここにイエスが「人は離してはならない」と命じたみ言葉の重さがある

そして、これが「神が人にとって父と母である」という真理をすべての人が共有する原点である
しかし、自分も子供だったことを忘れた大人には、「神が人にとって父と母である」という真理は遠い

ファリサイ派との問答の後, 人々は、イエスに手を置いて祈っていただくために
子どもたちを連れて来た
弟子たちは、近づいてくる子供たちを見て、自身に矛盾を感じた
神から離れている自分たちを明らかに見たからだ

その矛盾を覆い隠すために
子供はイエスにふさわしくないというフィクションを共有した弟子たちは
子どもたちを連れて来る人々を叱った
「人間の仕業」が起こったのだ

イエスはこれを見て憤り、弟子たちに神の現実をぶつけた
「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(マルコ福音書10章14節)

人々は、フィクションの中にさまざまな門を見る
しかし、どの門も神の現実に通じることはない
ただ御言葉だけが、人々のフィクションを突破し、人々を神の現実と引き合わせる

Maria K. M. 
(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/