2025年12月3日水曜日

25. 意識の領域

人が、「存在」を「ある」ものとして感じるのは、それが自発性を持っているからだ。創世記1章によれば、自発性の源は、天と地そしてその森羅万象が、「~あれ」という神の言葉によって創造されたことによる 

この神の言葉が、すべての被造物に自発性をもたらした 

人は、この自発性を自身が持っていることを意識できるから、自分が向かう対象に「ある」ものを感じて、それを「存在」だと受け取っている。そこで、聖書の中で、神が「私はある」と言うときも、神が「存在」することだと受け取ってしまう。 

しかし、聖書において神が「私はある」と言うとき、それは、神が人と共にいることを意味している 

出エジプト記の柴の箇所で、神はモーセに、「私はあなたと共にいる。これが、私があなたを遣わすしるしである」(出エジプト記312節)と教えた。その名を尋ねると、「私はいる、という者である」(出エジプト記314)と答えた 

イエスもまた「私はある」という言葉を、「神が人と共にいる」という意味で使った。「私はある」という言葉を、「神が人と共にいる」に入れ替えると、ヨハネ福音書の各節は次のようになる 

-「『神が人と共にいる』ということを信じないならば、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬことになる。」(ヨハネ福音書8:24

-「あなたがたは、人の子を上げたときに初めて、『神が人と共にいる』ということ、また私が、自分勝手には何もせず、父に教えられたとおりに、話していることが分かるだろう。」(ヨハネ8:28)、

-「よくよく言っておく。アブラハムが生まれる前から、『神が人と共にいる』」(ヨハネ8:58 

Maria K. M.

(参考:ブログ「イエス・キリストの世界観とヨハネの黙示」https://spiritosantowjjp.blogspot.com/

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